沿革
HISTORY
東京大学形成外科学教室の歴史は1956年にさかのぼる。1956年、当時整形外科教授であった三木威勇治先生の発議により、整形外科内に形成外科診療班が発足した。1958年には日本形成外科学会が設立され、三木教授が第1回総会会長として学術集会を開催した。
大森 清一 教授 1967年3月10日~1967年3月31日
1960年、三木先生のご尽力により、東京大学附属病院にわが国初の独立診療科として形成外科が設立された。
三木先生を担当教授として、当時皮膚科講師であった大森清一主任のもとに、整形外科より丹下一郎先生、耳鼻科より福田修先生、皮膚科より添田周吾先生が文部教官助手として参画した。1967年3月、短期間ではあったが大森清一先生が初代教授に就任した。日本で最初の形成外科学教授である。
福田 修 教授 1977年3月16日~1988年7月13日
1954年に東京大学医学部を卒業し、耳鼻咽喉科に入局した福田修先生は、「諸種哺乳動物聴器の計測的研究」により学位を取得した後、1960年の東京大学附属病院形成外科に設立当初から参画した。
1963年、米国ユタ州Latter-Day-Saints病院に半年間出張、Dr.TR Broadbentに師事、次いで1966年、ニュージーランド、オークランド市のMiddlemore病院形成外科で、WM Manchester先生のもとに1年間留学した。1967年、大森清一先生が退官した後に、形成外科には教授籍がなかったため、東京大学形成外科の助教授・形成外科科長となった。
この頃に始まった学園紛争に巻き込まれ、数年間は活動が制約されたが、診療を継続し、1974年、第17回日本形成外科学会会長として総会を主催した。米国で見聞した特殊な皮内縫合法を「真皮縫合dermostitch」として紹介し、綺麗な縫い跡を得る縫合法として、現在も広く普及している。著書に「新しい縫合法(克誠堂1973年初版)」がある。また、耳介の変形、特に小耳症の耳介再建について尽力し数多くの成果を報告した。1977年に国立大学で最初の形成外科学教授(ただし、診療科教授)が承認されると、形成外科教授に昇格し、同年、東京警察病院形成外科副医長であった波利井清紀先生を助教授(現在の准教授)で迎え、マイクロサージャリーによる再建を含め幅広い診療を行いながら着実な発展を遂げ、1986年、国公立大学で初めての形成外科学講座が承認された。
1977年の第2回国際形成外科学会アジア・太平洋地区会議(会長大森清一先生)では財務担当となり、また1984年には日本美容外科学会会長、1988年日本頭蓋顎顔面外科学会会長を務めたのち、埼玉医科大学形成外科教授として転出した。
1991年、東京大学名誉教授となった。1989年より2年間日本形成外科学会理事長を務め、国際形成外科学会第11回会議への立候補を推進し、1993年に(会長波利井清紀、於横浜)実現した。
波利井 清紀 教授 1988年11月16日~2003年3月31日
波利井清紀教授は1988年11月16日付けで形成外科第3代教授に就任した。
1962年に東京大学医学部を卒業した後、勤務していた東京警察病院においてマイクロサージャリーを用いた遊離組織移植を開発し、臨床に置いて世界で最初に遊離皮弁移植に成功し、世界的に一躍有名となった。1977年11月より助教授(現、准教授)として東大病院に赴任し、約10年間福田修教授の元で医局人事などを任されていた。そのため、教授に就任後も大幅に教室のガバナンスを変えることもなかったが、助教授として山田敦先生を迎え、講師は中井啓祐先生、助手3名および医員数名でのスタートとなった。国立大学全体の体制(大学院大学制度)として、1995年に東京大学が大学院大学に移行しため病院の臨床科は大講座制に移行し、形成外科は「外科学専攻感覚運動機能医学講座形成外科学分野」として改組され、現在に至っている。
また、東大病院は1988年に6診療部37診療科になったが、形成外科は美容外科も合わせて標榜することになり、全国の国立大学病院で初めて美容外科が正式に標榜されることになった。
波利井教授は前任の東京警察病院時代よりマイクロサージャリーによる組織(移植遊離皮弁)の臨床開発者および陳旧性顔面神経麻痺に対する遊離筋肉移植法の開発で世界のパイオニアとして有名であったが、東大病院では特に国立がんセンター病院頭頚科の海老原敏先生と連携して、頭頸部癌切除後の一次的再建に大きく貢献した。そして、在任中は中塚貴志先生、朝戸裕貴先生らと共同で約3000例以上の癌切除後の再建を行い、その成果に対して2009年日本医師会医学賞を授与されている。
東大教授在任中、波利井教授は日本形成外科学会のリーダーとして、総会会長および理事長、日本マイクロサージャリー学会会長(会長は警察病院時代)・理事長、日本頭蓋顎顔面外科学会会長などのほか、国際再建マイクロサージャリー学会(ISRM)、国際形成外科学会(IPRAS)など、重要な国際学会の会長をつとめ、東洋人として初めての米国形成外科学会J. Maliniac Memorial Lecturer(1987)、および1988年には、特別招聘教授として米国ハーバード大学Monks Lecturer、ワシントン大学(セントルイス)James Barrett Brown 教授を務め、国際的に東京大学形成外科を有名にし、多くの海外留学生・見学者を受け入れた。
また、教室から輩出した全国の大学形成外科学教授は10数名にのぼっている。
光嶋 勲 教授 2004年5月1日~2017年3月31日
2004年5月1日付で第4代教授として光嶋勲教授が着任した。光嶋教授は1976年に鳥取大学医学部医学科を卒業後、東京大学形成外科に入局し、1983年筑波大学講師、1990年川崎医科大学助教授、1996年ハーバード大学留学後に、2000年岡山大学教授を経た後の着任となった。
穿通枝皮弁、血管柄付き神経弁、キメラ型合併移植法などの新しい概念や術式を開発し、海外22カ国32施設でのライブ手術を通じてこれを世界に発信してきた。さらに、外国から300人以上の見学者を受け入れ指導を行った。これらの功績によって米国マイクロサージャリー学会(ASRM) Buncke講演、米国形成外科学会(ASPS) Maliniac講演などの数多くの賞を受賞した。東大病院においては、スーパーマイクロサージャリーを用いたリンパ管静脈吻合、リンパ移植などを用いて、多くのリンパ浮腫患者の外科的治療を手掛け、リンパ浮腫外科的治療の総本山として、多くの若手医師をリンパ外科医として育てた。
2010~2012年には副院長に就任し、国際診療部の立ち上げと海外患者の手術など病院の運営に貢献した。
また、世界リンパ外科治療学会理事長、世界マイクロサージャリー学会(WSRM)理事長、国際穿通枝皮弁講習会設立者・常任理事、日本形成外科学会理事、日本手外科学会理事、日本リンパ学会常任理事などをつとめ、多くの国内外の学会を主催した。
岡崎 睦 教授 2017年6月1日~
岡崎睦教授は、2017年6月1日付で第5代教授として委嘱され、同年10月1日付で着任した。